寺の危機を救ったネコのタマ
東急世田谷線・宮の坂駅から徒歩約5分、小田急小田急線・豪徳寺駅から徒歩約10分のところに豪徳寺はあります。
創建は、文明12年(1480)のこと。当時、世田谷城主だった吉良正忠が叔母の菩提を弔うために建立した弘徳院が前身だと伝わります。なお、当初は臨済宗でしたが、天正12年(1584)、泉岳寺(東京都港区)の門庵宗関和尚(今川義元の孫)により、曹洞宗に改められています。
ところが豊臣秀吉の小田原征討(1590年)によって北条氏が滅ぼされると、北条氏に従っていた世田谷吉良氏も没落。弘徳院も衰退を余儀なくされました。
江戸時代には寺はすっかり荒れ果て、和尚が托鉢を行なうことでようやく暮らしが成り立つという始末。和尚も飼い猫のタマに、思わずこう愚痴をこぼします。
「タマよ、私がこれまで慈しみ育ててきた恩を感じるのであれば、なにか果報をもたらしてはくれぬものかのう」
そんなある日のこと。新たに世田谷領主となった彦根藩2代藩主・井伊直孝とその家来が弘徳院へやってきました。不思議に思った和尚が「何事でしょうか」と尋ねると、直孝は次のように答えました。
「いや、我らが寺の前を通り過ぎようとしたところ、門前にうずくまっていた猫が我らを見るなり、手を挙げてこちらへ来いと招くものでな。奇妙には思ったが、せっかくなので寺へ立ち寄って休息を取ろうとしたというわけじゃ。茶を所望できるか」
新領主の突然の申し出に恐縮しっぱなしの和尚でしたが、一行を奥の部屋へ招き入れると、渋茶などを差し出してもてなしました。
やがて空には雨雲が広がり、夕立が降り出します。そしてゴロゴロゴロ……と雷の鳴る音が聞こえたかと思うや、ドーン!!とすさまじい落雷の音が響きました。それまで直孝が立っていた場所にすさまじい雷が落ちたのです。
「なんと……これは危ないところであった……!」
直孝は、災難を免れたことに安堵します。そんな直孝一行に、和尚は三世因果の話を説きました。過去の因が現在の果を生じ、現在の因によって未来の果が生じるというものです。
この話を聞いた直孝は、すっかり和尚に心酔しました。
「猫に招き入れられたことで雷雨をしのぐことができ、しかも和尚の素晴らしい話も聞くことができた。いやいや、これこそまさに仏の因果というものであろう。これからもよろしく頼み申しますぞ」
こうして直孝は弘徳院の庇護者となりました。以来、弘徳院は井伊家の菩提所として多くの田畑を寄進されて復興。一大伽藍として発展を遂げました。そして直孝が亡くなったとき、その法号をいただいて「豪徳寺」と改めたのでした。
和尚はこれもすべてタマのおかげだと感じ入り、タマが亡くなったときは墓を建てて懇ろに弔うとともに、タマが福運を招き入れたときの姿を模して「招福猫児」をつくったと伝わります。
招福殿に祀られる「招福猫児」
招福猫児が祀られているのは、招福殿と呼ばれるお堂です。「招福観音菩薩立像」を祀っています。
そしてお堂の横には、参詣者が家内安全・商売繁盛・心願成就などを願って奉納した大小さまざまな招福猫児が置かれています。
まさに圧巻ですね。
招福猫児は全部で8種類。お札にも招福猫児が描かれています。招福猫児をいただく際にお寺の方にうかがったところ、持ち帰って祀ってもいいということでしたので、ぜひ家にお招きしてみてください。
御朱印帳も招福猫児が描かれたかわいいものを授与しています。せっかくなので、5号サイズの招き猫と座布団、そして御朱印帳をいただいてきました。
猫好き必見のお寺です。よろしければ、動画も合わせてご覧ください。
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